前田淳さんが2006年のマン島レース プラクティス中の怪我が原因で、6月6日午前
7時16分 搬送先のマンチェスターの病院で永眠されました。
前田さんとの出会いは、この仕事を始めた初期の頃、至急必要なステッカーを数十枚サポートさせていただいたことでした。
そして、たったそれだけの事なのに以来アクセスが総計一千万にも達していたマン島HPのリンクページにとても大きく、身分不相応に入れていただいて、いやこれは出世払いしなくては、いつか借りはお返しします・・、という心構えで協力してきました。。(前田さんのマシンのデコレーションは別の方です。) 矢沢栄吉「成り上がり」ではないですが、何の実績もない時に暖かいお声をかけていただいたご恩は一生忘れられません。
マン島レースは映像で見たことがないと、どれだけすごいレースなのか説明できません。普通の市街地を最高300キロで走ります。
使用する1000ccのバイクは、ノーマルにちょっと手を加えただけで300キロ出てしまうそうです。200キロからでもアクセルを開けると、振り落とされんばかりの加速をする、とんでもなく速いバイクらしいです。
そんなバイクで石の塀が数十センチにまで迫ってくる普通の道を300キロで走るのです。マン島オンボード映像を見ると、恐ろしくてとても正視できません。走っているライダーの恐怖たるやさらに計り知れないでしょう。無事完走するだけでも奇跡だと思います。ましてや成績を期待されるトップコンテンダーの危険度はとんでもないはずです。
あまりに危険なため、協賛を尻込みする会社もあるようです。当然だと思います。
1周60キロもあるコースです。コースを覚えタイムを出して行くのがどれだけ大変だったろうことは想像に難くありません。安全マージンを多く取り、ただ完走するだけならた易いかもしれません。が、前田さんは毎年タイムを削っていった。それを公言し実行していった。
想像するに1年365日
マン島の事を考えなかった日はなかったでしょう・・。その姿にみなが共感した。毎年良くなっていく成績にワクワクさせられた。
来年はもっと上位をと周囲も期待し、前田さんは毎年必ずそれに応えていった。
前田さんは何もない所から借金をしてまで一人で参戦を始めた人だから、誰からの応援がなくても走り続けたでしょう。だから万一の事を考えるまでもなく、前田さんが止めるまで応援するつもりでいました。
前田さんの活動に微力ながら関われて大変光栄でした。もうこんなエキサイティングな方はしばらく出ないでしょう。
もうあのマン島のコースを走る前田さんを見ることができないと思うととても寂しい。誰も代わりはできない。文字通り最期までオンリーワンの存在でした。
前田さんとは一度しかお会いできなかったのですが、その後のメールでの連絡やBBSへの書き込みは、いつも明るく前向きで死のイメージがまったくない人だった。
「ネガティブ」という言葉がまったく似合わない、前田さんの前では存在さえできない、本物の男でした。
常に危険と隣り合わせでしたが前田さんはやりたいことをし、その挑戦にみなが一喜一憂した。誰もやりそうもない、誰もできそうもない事を何年もやり続け、結果を出し、本当に数多くの人々の心の中に忘れられない印象を残した。
前田さんのブログを見ると、おびただしい数の前田さんの死をいたむ落胆の声が寄せられています。とても読みきれない数です。いかに前田さんの存在が、多くの人々の心を魅了していたかを実感します。
前田さんはいつも輝いていた。好きな事をして逝った。ご家族の方には大変申し訳ないのですが、亡くなられた時に「あの人はすごい人だった。」と何千、何万の人に心から惜しまれて逝く人が世界で何人いるでしょうか・・。こんなかっこいい生き方はないし、世界一の幸せ者だと勝手ながら思いました。
前田さんの偉業を少しでも長く、後に残したい。それが私の希望です。
2006年6月18日
マン島フォトギャラリー